私の歩き方

私の日々の徒然

ユトリロ 何のために絵を描きつづけたのか。

 

画家 モーリス・ユトリロ

1883年 パリ・モンマルトに出生。

 

母親も画家。

 

2歳、

てんかん発作。

幼少から病弱で、情緒不安定。

 

8歳

精神科受診。

パリ・ロラン中学では優秀な成績を収めるが最高学年で問題を起こし退学。

 

17歳

臨時の外交員の職を得るも4か月で終了。

その後も気難しく激情型の性格で職が続かず。

 

18歳

アルコール依存症による暴力が増え、転居をするも悪化。

 

19歳

モンマルトの丘に住み、水彩画を始める。

 

21歳

パリのサン=タンヌ精神病院に入院。

その年5月には症状が改善し、モンマーニに戻る。

モンマルト周辺で独学で絵を描き始める。

 

22歳から25歳

ユトリロは、ユッテルという仲間を得て画家として活動し、精神的にも肉体的にも開放されていた。

 

26歳

サロン・ドートンヌに2点出品。初の展覧会出品。

母親が離婚し転居を余儀なくされる。

経済的な困難に陥り、石膏採掘所で働くも警察沙汰となる問題を起こす。

自分の絵を売り、ルイ・リボードという初めての買手が現れる。

 

 

28歳

アルコールの影響を受け続け、泥酔した際に猥褻の罪で起訴され、罰金刑を受ける。

セザール・ゲイという元警察官で飲食店経営者と知り合い、彼の店の奥で絵を描く。

店に飾られたユトリロの絵が好評となり、モンマルトで芸術家として知れることとなる。

 

29歳

ユトリロの絵の価値が急上昇し、ルイ・リボードと専属契約を交わす。

収入を得て、家計も安定する。

母親とユッテルがユトリロの絵に利益を見出そうとしリボードと対立。

リボードは絵の利益により、制作を注文し制御下におこうとする。

このため精神状況は悪化し、精神科に入院する。

入院中も絵を描く事を勧められ、静養先で多くの作品を制作する。

夏には精神症状が回復し、展覧会に2作品を出品するが

12月には精神状況が悪化。診療所に再入院する。

 

30歳

リボートは28歳~29歳の作品31点で展覧会を行うが失敗。

失敗の原因を多作のせいと思い、ユトリロに月6点以上作品を描かないよう指示。

マルセイユと好条件で契約を交わす。

マルセイユから得た収入で酒場を廻る。

 

31歳

診療所に入院。絵を描き続けて、買手もつき競売にもかけられる。

絵の出品が失敗に終わり、リボートの契約が破棄される。

安定した収入がなくなり、軍隊に志願するも医学的理由で免除。

酒場に入り浸るようになる。作品数は数百点にのぼる。

年末に暴行と器物損壊で逮捕され、精神科病院に移送。

 

32歳

退院後、軍に招集されるが精神病により兵役免除となる。

1年中、絵を描き酒をのみ騒ぎを起こしたため、年末に精神科に入院。

 

33歳

退院し、作品の評価も上がっていく。

 

34歳、

グループ展にて、作品を数枚出品。

ドルーはユトリロの画商の筆頭となり、一室を彼に貸し与えられる。

 

36歳

個展が成功し、裕福な生活環境となる。

 

38歳

母親、ユッテルと3人で生活するが喧嘩が絶えず、軽犯罪を起こし収監。

パリから離れた城にアトリエを置き、監視され生活する。

その中で信仰を深めていく。

 

50歳

リヨンで洗礼を受ける。

 

52歳

12歳年上の女性と結婚する。

しかし、城での軟禁生活が続いていく。

 

55歳

最愛の母親が死去。 

 

72歳

旅先のホテルで肺充血により突然死去。

 

 

好きな画家であるユトリロの生涯について

調べてみました。

 

絵に描かれる街並みから受ける印象、

生きている感じのする雰囲気が好きで

画集なども見ていました。

 

 

彼は、絵を描く事が好きだったのでしょうか。

彼は、生活と酒のために、描いていました。

素晴らしい作品を描いたのではなく

治療ために描いた作品が、たまたま評価され

「家計を助ける」こととなったのです。

それがまた、 ユトリロ自身を苦しめちく。

でも、描かなければ生活できない、酒も飲めない

収入や名声を得ても、軟禁生活を余儀なくされる。

ユトリロが絵にして伝えたかったことは

そんなこと、あったのか…

いろいろな事が思いめぐらされる画家です。

 

またユトリロの絵を

ゆっくり眺めたくなりました。

 

是非、ユトリロの絵を見て下さい。

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