私の歩き方

私の日々の徒然

手編みのボッコ手袋履いている小学生、見かけなくがなった。

ボッコ手袋=ミトンともいう

北海道弁

 

私が小学生の頃は

母親や祖母や親戚が手編みで作った

ボッコ手袋を履いて、雪の中遊びまわっていた。

 

毛糸でギュウギュウにキツく編まれた手袋は、雪遊びすると、必ず手袋の先に雪玉が何個もついてしまう。

すぐにビショビショに濡れてしまう。

 

雪玉を取りながら、何度も手袋を脱いだり履いたりしながら遊ぶから

帰宅したら、指先は冷たくなっていて

ストーブの前で手をかざして、濡れた手袋は新聞紙の上に乗せて乾かしたりした。

 

毛糸で編んだ靴下、セーター、マフラー、帽子‥。

学校に行くと、クラスメイトの何人かは

手編みだなっと分かるデザインのセーターやマフラーや、手袋をしているのが普通だった。

家族の誰かは編み物をしているのが当たり前で、編み針や毛糸玉は日常のものだった。

 

あれから30年以上経ち、

ウチの息子はセーターを着ない。

着なくても、部屋は暖かいし

フリースやら、ヒートテックやら、チクチクしない高性能のオシャレな服が

編むより簡単に手に入る。

 

手作業の苦手な私は

子供のころ編み物を少ししていたけど

もう当然のように編んだりしない。

手袋もマフラーもみんな毛糸以外。

セーターだって、お店で安くステキなデザインのものが沢山売っている。

 

たった30年前は

手仕事はあんなに身近で普通のことだったのに

今、手編みのセーターを作る人も、着る人も、私にとって身近じゃない。

 

今日、お義母さんから

つむぎの着物の話を聞いた。

お義母さんの母親が、切れ端の糸を自分で紡いで、着物の反物にして、兄妹、親戚に渡していたそうだ。

実際に紡いだ反物も着物も見せてもらえた。

毎夜、夕食の後は、糸を紡がのが日課になっていた。

自分で紡いで反物にした方が、安く着物が作れるからと。

 

そんな手仕事があったのか、と驚いた。

そして、そんな果てしない作業が日常の中にあった事も驚いた。

出来上がった着物はとてもステキなもので

余った糸を紡いで作ったものとは思えないものだった。

 

ここ数十年で、世の中は加速度的に変化して

前はどの家庭でもあった手仕事が無くなっている。

 

今、そのこれからは社会の中でも

AIの発達で、あった仕事が無くなるとか言われている。

 

これから30年。

どんな世界になっているんだろう。

f:id:macham0557:20190506004712j:image