私の真実とあなたの真実は、事実とは違う。黒澤明「羅生門」を観て。
原作は芥川龍之介。
あの有名な「羅生門」ではなく「藪の中」。
映画では
羅生門を舞台に3人の男が
1人の死者にまつわる4人の真実を聞き、
「事実を語らない人間に対する不信」と
「事実を語れない人間に対する愛」を
巧妙に訴えかけてきます。
多襄丸(強姦・殺人犯)→男を殺したと語る。
男(侍)→殺される。殺したのは…
女(侍の妻)→多襄丸に強姦される。夫を殺した?
第一発見者の男→何を見ていたのか?
事実に関係するのは4人。
しかし、4人の語る「真実」は一見全く違う。
なぜ、1つしかない事実が
4つの「まったく違う真実」を生み出してしまったのか。
そこには、人間の
小さなプライドや、卑屈さ
極限に立った時、人は他人への愛
より自分を守る事。
人の環境や感情により真実は複数存在する事。
それが、人間の愚かさと、
素晴らしさであると感じられるストーリー。
事実を暴くことに意味があるのか、
そんな問いさえ、自問自答したくなる映画です。
この映画は「事実は1つ」であることも見事に伝えています。
多襄丸は旅の途中の夫婦を見かけ
女の魅力に取りつかれ
女を強姦したくなり
夫を縛り付けて、目の前で強姦した。
強姦された女は、
夫と多襄丸二人と関係を持ったことで
二人のどちらと人生をともにしても
自分の身の置きどころがないと話す。
多襄丸と夫は女の話を聞き、決闘をする。
多襄丸が勝ち、夫が殺される、女は決闘を見て恐ろしくなり
逃げ出してしまう。
事実はこんな話だと思います。
しかし、それぞれのキャラクターにより
語られる真実が変わります。
多襄丸
犯人の多襄丸は衝動性の強い男。
世の中に対する劣等感とプライドの高い
性格で虚勢を張って生きている男。
女
夫との関係に不満を抱いている中
多襄丸という男に夫の前で強姦される。
多襄丸との関係をきっかけに
夫も自分に対する愛がないと知った女は
夫が許せず、夫に憎しみを持つ。
しかし、自分も夫への愛が無いことを
認めることができない女。
夫
多襄丸に強姦された妻を見て
自分への愛が無かったと知る。
しかし、愛されてないことを認められない
自分が妻を守れなかったことも
認められない、プライドの高い男。
それそれの、立場や思いが
どのように真実を語るのか。
そして、最後に第一発見者の語る「真実」と
その男がひそやかに隠す「事実」
ラストのこれこそが
人の弱さと、強さ
そして、それ故に
「だから信じられる」と思える結末を
導き出します。
私たちの日常にも沢山あふれる
「真実と事実の違い」に
イライラしたり、人を信じられなくなるとき
あると思います。
そんなときは
「羅生門」をぜひ見てみて下さい。
・